ここ松永の港は「しまなみ海道」の本州側に位置し周囲を山々に囲まれ、気象条件に左右されにくい 静穏な水域をもつ恵まれた港として、各地の港を結ぶ海上交通の要衡としての重要な役割を果たしてきました。

寛文7年(1667年)当時の福山藩士「本庄重政」は7年の歳月をかけて松永に塩田を完成させました。
そして湾東部に村ができ 重政は「松寿永年」というめでたい言葉を利用し「松永村」と命名しました。
これが 地名「松永」の始まりです。

塩田として発展した松永から各地へ塩が輸送される帰り荷として、製塩のための薪輸送が始まりました。
その薪の中に燃やしてしまうには惜しい位 大きい材木があり、下駄材料として利用されました。
その後 「塩田の街 松永」から「下駄の街 松永」へと移り変わってゆきました。

下駄材料は当初 近隣の山陰地方からの輸送でしたが、松永の下駄産業の発展に伴い大量かつ安価な材料が必要になり日本各地からの輸送に広がってゆき、松永の木材港としての需要は高まっていきました。
弊社が木材運搬船からの荷おろし、海上輸送を始めたのはこの頃からです。

月日は流れ、下駄材料の輸入から 「府中家具」を代表とする家具材料の輸入 そして現在では主に住宅用建築用材 梱包用材 等 世界中からの木材の輸入港として日本有数の木材港として発展を遂げています。